メンヘラの真逆は反脆弱性だった

脆弱性とは?  

 

なかなか画数も多く堅苦しく聞きなれない言葉だが、この概念は生きて行く上でとても重要なものである。

つまり、こういう考え方が身についていると、生きていく上でとても役に立つそして何より、生きていくということに対して楽になれる。

なかなか想像できないと思うので、自分の生活の中に引き寄せて考えてみる。

 

時は2018年。猫も杓子もメンヘラ。もはや、れっきとした現代病の一つであるメンヘラ。ここでメンヘラがなんであるかは特に言及しない。あまりにも幅広い意味で使われているのでぼんやりとしたイメージだけで大丈夫だと思う。

僕もメンヘラに被害を受けた経験がある。

当時の僕の人生史上、一番可愛い女の子と遊んでいた時の話だ。

完全に可愛かった。言えば、北川景子の一般人バージョンだ。出会いはとあるバーで、知人が紹介してくれた。

彼女はいかにも仕事できますオーラを放ちながら、何百枚と男に配ってきたであろう名刺を僕にも差し出した。僕は名刺なんてものは持っていない。それを受け取りながら彼女の顔ばかり見ていた。


完全にやりてえ・・・


男の本能が股間から僕にそう怒鳴り続けていた。

その日はなんとか、暴れ出しそうな僕のリヴァイアサンをおさえて、後日遊びに誘った。

僕は洒落た店も知らない。というか、そんなことを調べるのもめんどくさかった。人と遊ぶ時は、まあなんとかなるでしょってな感じで流れに身を委ねるのが好きだ。

その日のデートの内容はまさかの

卓球→くら寿司

だった。今考えるとあんなプライドの高そうな女をよくヨボヨボのおばあちゃんが一人でやっている卓球場に呼び出し小一時間卓球をして、近くのくら寿司で安い寿司を食べるというデートプランで抱けると思ったな。勢いというのは怖いものだ。

くら寿司のお会計2000円ほどは僕がドヤ顔で支払った。つまりはおごりだ。その時点でまだ、土曜の17時。僕のデートプランはお粗末すぎるだろう。しかし、いくら相手のことを考えたって知らないものは知らないのだ。その瞬間に判断して最善を尽くすしかない。いわばこれが反脆弱性だ。

正直、断られてもデメリットはない。そんなに深い付き合いでもないし、仕事上何か支障が出るわけでもない。デメリットが少ないなら数打ちゃ当たる戦法が一番かしこい。それはタレブも本書の中で言っている。

僕は、くら寿司のお会計を済まして、階段を降りた瞬間に、ラブホテルの方に向かって「行く?」と聞いた。こんなデートで案外やれるものなのだ。やれるときはやれるしやれないときはやれない。今回はたまたま成功したというだけだ。

このたまたまが出るまで挑戦し続けるという概念が「反脆弱性

下手な予測をして、デートプランをきっちり決めて、美味しそうなイタリアンレストランを予約したところで、道が混んでいて時間に遅れたら入れないかもしれないし、彼女が甲殻類が苦手な人なら全てが水の泡だ。全てをかっちり予測で固めたものは脆いとタレブはいう。

 

予測ほど役に立たないものはない

みなさんも何かを始めるときに、色々下準備をしなきゃ不安で始められないと言った経験はないだろうか?

僕も身に覚えがある。ランニングを始めようと思い立ち、いきなりどのランニングシューズが足に負担が少ないのか?とかやたら調べてしまって、そこそこ値段のするものを買ってしまったりした。本来ならば、なんだっていいのだ。走るという行為が最優先で、走る習慣ができた後に必要であれば調べればいい。

このブログにしてもそうだ。アフィリエイトWordPressドメインだ、挙げ句の果てにはどのジャンルが儲かるだの、テーマ設定が大事だのそうゆうブログは腐るほどある。

ここで一つ疑問に思わないだろうか?

そのノウハウが正しいなら、それ読んだ人が全員その通りやればみんな稼げているはずなのになぜ実際にはそうならないのだろうか?と。

読者のニーズを予測して書けと言ったところでそんなものはそもそも当たるはずがないのだ。だって違う人間なんだから。全く見知らぬ人間の趣味趣向などわかるわけがない。僕たちは付き合っている彼女や結婚している相手のことですらあまり理解できていないのに顔も名前も知らない人間のことなんてわかるわけがない。そう思わないだろうか?

それなのになぜ、世の中にはハウツー系のブログや書籍が溢れかえっているのだろうか?

それはみんなが答えを求めるからだ。答えがあると安心できるからだ。


しかし、世界は僕たちにそんなに甘くない。なぜなら常に変化し続けるからだ。海で波打つあの波を詳細に予測できないのと同じで、ハウツー系の書籍はただ海の水は塩辛いと言っているにすぎないのだ。

確率という概念もそれに近い。安心するために確率を用いている場合が多々ある。

「〇〇が成功する確率は80%です!今すぐどうぞ!」

と言われるとやらないてはないと人は考える。確率的には5回に4回成功するのだから。しかし、それは5回挑戦できる場合のみだ。人生という片道切符しか用意されていない乗り物では、ほとんどが1回しか挑戦できない。だから、こそ人は確率にこだわるのだろうけれども、実際はだからこそ確率はほとんど無意味だとも言える。

確率100分の1であると言われているゲームがあったとして、99回失敗しているのを目の前にした状態で自分の番がやってきたとしよう。あなたはやった!と思うだろうか?99回失敗した状態でそのゲームに挑戦しても、次の1回が成功するとは決して保証されていない。膨大な数繰り返して、振り返ってみると100回に1回は成功してるよねということなのだ。それがいつ訪れるかはわからない。

じゃあ、もはや予測なんてできないって割り切って生きていったほうがいいんじゃない?ってことをタレブは繰り返し言っている。

ここで全てを書き切ることはできないけれど、詳細はぜひ本家の方で確かめてみてほしい。なかなか日本人には出てこない発想だと思う。マジでオススメです。